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国連地域開発センターの諸事業を支援するため愛知県、名古屋市、名古屋商工会議所、社団法人中部開発センター等によって「国連センター協力会」が設けられているが、これに対し愛知県600万円、名古屋市300万円の負担金を支出している。
(2) 職員の派遣
1983年から市職員を研究員として、国連地域開発センターに派遣すると同時に、第1回から現在まで「総合地域開発計画研修コース」に対し、各回1名の研修生を派遣している。これまでに累計して8名にのぼる派遣職員は、派遣期間中センターの研究プロジェクトに参加して、センターの活動を支えるとともに、帰任後はセンター勤務中の経験を生かして、本市行政の推進に欠かせない人材となっている。「総合地域開発計画研修コース」に参加した本市職員始め日本人の研修生は、外国から参加した研修生に日本の経験を伝えるリソース・パーソンとしての役割のほか、日常生活に対するアドバイザーとしての役割も果たしている。

 

4 国連地域開発センターとの連携・協力、課題と展望
1971年の国連地域開発センターの設立、あるいはそれに先立つ「国連地域開発調査訓練計画中部センター」を名古屋で運営しようという決定がなされる頃、地元団体である愛知県、名古屋市は極めて熱心にその誘致活動に動いた。首都圏、近畿圏に遅れてようやく制定された中部圏開発整備法を受けて、中部圏開発整備計画が策定されようとしていた時期であり、地域開発にかける地元の熱意も極めて高かった。そのときに中部圏計画を研修の素材とする国連の調査訓練機関の設置が提起されたのである。中部圏開発整備計画は、大規模な社会基盤造成を中心とするハードの計画であったが、中部圏を題材とした国連の「地域開発調査訓練計画」はそれに対置される魅力的なソフトの計画であった。それ故、この地域に対して好意的なワイズマン氏の勧告を地元は真摯に受けとめ、熱心にその実現を関係方面に働きかけた。
国連地域開発センターの誘致運動は、中部圏計画の思いがけない副産物としてではなく、地域政策上必然性のある課題でもあった。当時の地元政・財界のリーダー連の気持ちを、初代の国連地域開発センター所長、ジョージ・ダガー氏は次のように言い表している。「地元名古屋の関係者は、別の意味で国際機関のセンターを名古屋に誘致する必要があった。ある大都市がその国の首都でない場合、情報革命、あるいは世界的規模での人とのアイデアの交流を通した急激な文化的発展、といったものに乗り遅れるかも知れないという不安が常にある。名古屋の場合、ビジネス面では若者達を大いに魅了すると思われたが、一方で東京や他の大都市との文化面での競争では対抗できないのではないかという危惧もあった」(注2)
国連機関を誘致し、当該の分野での「中心性」を獲得しようという戦略は、国連地域開発

 

 

 

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